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まちの成り立ち

山々に囲まれた城下町。
外界から離れ独自に発展したまちの歴史をひもときます。

伊賀上野城を中心に碁盤の目に広がる美しいまちなみ。
それぞれの時代を歩んだ建造物が今なお残る城下町には、その大半を占めるほど、三重県を代表する文化財の多くが見られます。

日本有数の文化的建築は、そのどれもが現代の伊賀を象徴するものでしょう。
伊賀の歴史的背景を知り、はじめての文化体験ができるご滞在をお楽しみください。

知られざる文化に出会うまち、伊賀

伊賀には、日本に誇るべき文化財が数多く残されています。特に歴史ある建造物は、神社の本殿や寺院の本堂、武家屋敷をはじめとし、各所に点在しています。

また、伊賀は永い歴史の中で大きな戦災を受けなかったことから室町、江戸、明治から現代に至るまでそれぞれの時代に息づいた建造物が数多く残っています。

三重県内の、国重要文化財・県の有形文化財の約三割、国の登録有形文化財の約二割が伊賀市内に存在する、まさに文化財の宝庫とも呼べるこの場所には、未知なる歴史が数多く残っています。

HISTORY 01

文化と産業の拠点「伊賀上野城」

伊賀上野城は、1585年(天正13年)に豊臣秀吉の家臣であった筒井定次によって築城されたことにより始まります。
その後、徳川家康の命で伊賀・伊勢の領主となった築城の名手、藤堂高虎によって、西の大坂城の豊臣方と対峙するように本丸西に日本一の高さを誇る高石垣が築かれるなど大規模な改修工事が行われました。

廃城令が出された明治時代以降も城跡は公園として整備され、現在の木造の天守閣は地元出身の代議士である川崎克によって、伊賀地域の文化と産業の振興のシンボルとして復興されました。

正式名の「伊賀文化産業城」は、「攻防作戦の城は亡ふる時あるも、産業の城は人類生活のあらん限り不滅である(軍事の城は滅びるけれども、文化産業の城は滅びることはない)」という想いが込められています。

HISTORY 02

伊賀の地域社会と文化形成

伊賀では多様な文化の発展や地域の交流が盛んに行われていますが、その原型は藤堂高虎が領主として築いたまちにあると言われています。

上野城下町区域は、政治や行政の中心としてだけでなく、商工業の拠点として発展を遂げ人や物が行き交うようになり、
和菓子やお茶、能や俳諧など今もなおまちで親しまれている伊賀の文化の基礎が育まれていきました。
一方で、農村部では良質な土壌を活かした米づくりに加え、蚕業や林業など、地域産業が繁栄していきました。

1566年頃から商売免許の特権が与えられた三筋町では商人や職人でにぎわい、富を得た商人たちが今に残る天神祭のだんじりを町々で持つようになり、まちの繁栄へと繋がっていきました。

このように上野城下町を中心とし、津や奈良など周辺のまちとの間でヒト・モノが循環していく営みが、今なお続く伊賀の地域社会と多様な文化形成の基盤となりました。

HISTORY 03

今も愛される忍者の里のはじまり

大名や領主に仕え諜報活動を行う忍者。
その発祥にはさまざまな説がありますが、その1つに伊賀を中心に古くから栄えた「修験道」が由来だと考えられているものがあります。

伊賀では修験道の開祖である「役行者」が祀られていて、上野天神祭での「役行者列」や100体を超える役行者像が存在していることからも修験道が盛んであったことが伺えます。

修験道とは、山は神の鎮まる聖地と崇め、山岳での厳しい修行に身をおき悟りをひらくことを目的とした信仰形態のことで、修験者からは現代に伝わる忍術に近い行動が多く見られました。
修験者は国境を自由に行き来できることから、諜報活動を行うことに適していました。
また、伊賀の盆地は霧深く木々で入り組んでいるため、潜入術やゲリラ戦術など忍術を昇華するにはうってつけの環境でした。

今では日本を代表するキャラクターとして世界で愛される忍者ですが、伊賀ではその本来の姿知ることができます。

HISTORY 04

伊賀のまちの礎「伊賀盆地」

伊賀のまちは山々に囲まれている盆地にあり、約400万年前にはここに「古琵琶湖」が広がっていたとも言われています。
それらの地形的背景が現在の伊賀の文化や食の発展に繋がっています。

山々に囲まれている性質上、伊賀では古くから地域の中での繋がりを深める風土を生み出し、城下町として地形的特性に合わせた文化や産業が発展していきました。
大和街道や伊賀街道などを通じて、周囲のまちを繋ぐ役割を果たし、江戸時代には宿場町としても栄えていきました。

また、古琵琶湖がもたらす良質な土壌や盆地特有の激しい寒暖差、そこに合流する木津川などの綺麗な伏流水は、特A米である伊賀米やG7で各国の首脳に愉しまれた伊賀酒など、伊賀を代表する食文化を生み出していきました。